次世代起業家・経営者アカデミー 創業者兼代表講師
加藤将太 かとう しょうた
兵庫県生まれ。京都大学工学部、同大学院MBA(経営管理大学院)を卒業し、株式会社NTTデータ入社。
2010年10月に個人事業主として開業し、2012年1月に法人化。創業1年目で1.1億の売上を達成。1年2ヶ月後の2013年3月、Amazon法人部門月間売上高2位(4,583万円)を達成。
書籍流通支援システム、法人向けデータマーケティング支援システム等の開発・販売をおこなう一方で、MBAで学んだ知識や、実際に0から短期間で事業を軌道に乗せた経験をもとに、法人向けの経営セミナー・コンサルティング事業もおこなう。
2013年より開始した「次世代起業家育成セミナー」はこれまでに5回開催され、累計3,000名の法人代表・法人代表候補・起業家の卵が参加。また、加藤が直接経営者にコンサルティングをおこなう「経営者育成メンバーシップ」を運営し、累計1,000名以上を指導するなど、経営者の輩出に尽力している。
なお、現在は自らが代表を務める会社を4社経営している。また、起業未経験者の支援も積極的におこなっている。
2016年、ウェブマーケティングにおいて日本一を達成(3,000名に対し5.4億円の売上、単価16万円で日本一)。
2017年~2019年、当スクールの講師として映像に登壇し、次世代起業家・経営者育成アカデミーを1人で10億円超販売する見込み。
ツール開発においても実積があり、過去に利用者数万名のツールを開発した他、2019年、6年間と数億円という開発費を費やし、業界初、LINEでシナリオ遷移を伴うステップメッセージが送れるシステムをリリース。
(参考)[ ツールの配布サイト(無料)>> ][ 企業HP>> ]
0歳、清閑寺家(※)の末裔として東京に生まれる
父方の曽祖父。藤原北家 勧修寺流の公家で、十三名家の一つ。爵位は伯爵。
現在、華族制度は廃止されていますので、育つ上での実感は当然ですがありませんでした。
父は父の祖父からその精神面(元・公家であることの態度と精神に関する責任)を厳しく躾けられたらしく、そのせいか、僕は父には勉強しろとか、良い大学に行けと言われた記憶は全くありませんが、精神性に関する正しさは口やかましく教育されたように思います。
その影響か、僕は6歳で世界人口がこのまま増えたら成り立たなくなる、どうしようと悩み、10歳で世界の戦争を心配し、18歳頃、日本の教育を良くするという現実的に影響力を与えられる目標にようやく辿り着きましたが、それまではアイデンティティに悩んだものです。その手段としてMBAを経て経営者を目指す訳ですが、MBAに進学した当時父には「アメリカの資本主義の奴隷に成り下がるのか」と怒られたものです(父は戦争経験世代です)。今は、行動の理由が説明できるので仲は良いですが、当時は情熱しか無かったため、選択の正当性を説明するのは難しかったのです。
2歳、兵庫県西宮市に引っ越してくる
11歳、塾に行かずに全国模試でTOP10に入る。
その後、人に勧められて受けたMENSA試験に合格。
15歳、エンジニアだった父に触発されて入学した高専(※)で硬式テニスと出会う。
勘違いされる方も多いのですが、高専は工業高校ではなく、高校でも、短大でも、大学でもなく、"高専"という一つの教育機関の名称です。当時、地元の学区から進学できる一番良い公立高校(西宮市立西宮北高校 理数科)を上回る偏差値(65前後)がありました(尚、同高校 理数科は名称変更の後、2003年に募集停止され普通科のみになったので、この傾向はますます顕著です)。参考:兵庫県高校偏差値一覧。
17歳、硬式テニス朝日新聞杯ベスト8。
テニス費用はアルバイトで賄う、という方針のため土日に働いている間に、 月々30万円の支援を得て個人コーチを付けてもらっている同級生を見て「始めたのが遅くても、上達速度だけでも上回る」という当初の目標達成は困難だと感じ、テニスを一時休止。
強みを振り返って、テニスと同じような興奮を自分に与えたものとして、留学に思い至る。
大学院で奨学金留学する、それも遊びや語学のための留学ではなく、Ph.Dを取得するという目標を立てる。
激しいテニス練習環境と学習環境が両立できる。
京都大学(当時関西学生2部リーグ、国公立大学としては強かった)を目指す。
テニスの練習再開を目指して。
19歳、高専でTOEIC850点を獲得。
その他京都大学工学部に合格(神戸高専同学科から合格は創立以来初(※))。
当時の神戸高専の担任教師談。
尚、高専卒業生全国約1万人中、京都大学と東京大学には毎年合わせて30~50名程しか合格せず、その進学率は全体の0.5%以下と、高校→東大・京大ルートより実は狭い。
また、その内訳も、当時京都大学は約15名合格、東京大学へは約25名合格と、実は京都大学の方が数的には狭き門であった。
このような情報不足の中、道を切り拓く術はこのあたりで学ぶ。
また、「人はやれば出来る」という信念を深くし、自分ではなく他人も出来るはず、という教育への情熱をこの経験からも深める。
19歳~21歳"暗黒の大学生生活"。
この2年間にした事は、
「教職科目(中学・高校×数学・理科)と合わせて2年で約140単位取得」
「社会人プロ劇団のための活動(主として発声練習。後のセミナーに活きる。)」
「2つ起業(うち1つ利益化。詳細は後述)」
「往復4時間の自宅からの通学時間中の英語学習」
「学会資料翻訳のアルバイト・学会の英語書記アルバイト」
「全ての教養科目に本気で取り組みオール優」
「個別指導・家庭教師等の受け持ち」
「学習指導方法論の習得(主として読書)」。
人生で一番忙しかった時期かもしれない。
振り返ると"何かの能力は身に付いた気がするが忙し過ぎて覚えていない(笑)"。
20歳、UCバークレーに短期留学。憧れだった留学を果たす。
しかし、多忙により教職のインターンに留年なしで行く時間が取れず
免許の取得までは至らなかったこと、年100~300万円稼ぐアルバイトの継続と2つの起業、
テニスの練習時間確保ができなかったこと、
7年続けた工学部での学習と2度目の研究・論文執筆など、
振り返ってみるがそれでも「冒険」が少ないように感じた。
そして留学は渡米そのものではなく「冒険」が目的だったと気付き、当面の目的を経営に変更(最終目標が教育であることは変わらず)。
その前段階として京都大学MBA経由でコンサルに入る事にする。
つまり、コンサルで経営を学ぶ→経営で影響力を付ける→教育を変える。
21歳、2つの起業。
ベトナム人とベトナムにITをアウトソーシングするベンチャー立ち上げを試みるは知識不足から挫折(1つ目の起業)。
目標を小さくして学内ポータルサイトを立ち上げて軌道に乗せる(2つ目の起業)。
(その後後輩に経営を任せ、年50万円程の不労所得化に成功。)
22歳、1ヶ月の勉強で京都大学MBA(経営管理大学院)に合格。
今までの一応の総復習として、3日間の勉強で、京都大学工学部の大学院にもダブル合格。
24歳で予定通り京都大学大学院を卒業。
大学院では学生団体を作り、同級生15人の協力を得て、述べ500名に就活を指導。
京都大学の中でも、外資系コンサル・金融・総合商社等、いわゆる難関就職先へ多数の合格者を輩出。
尚、この時主催していた練習会に企業を呼んだところ、協賛金が得られたことから、これを事業化すれば年商数億円の売り上げになる事を考えたが、「人生をかける程の事業ではない」と感じ、一度就職することにする。
戦略コンサルティングファームとIT企業の内定を獲得。
迷った末、急がば回れでIT企業へ。
つまり、事業会社の力学を学んでから→コンサルで経営を学ぶ→経営で影響力を付ける→教育を変える。
当時ルーチンワークとして担当していたデバッグプロセスを自動化し、手動でやっていたデバッグからレポート出力まで自動化するツールを考案し、残業して完成を試みる。
しかし、課長に見つかり、残業してはいけないよと訓示を受ける。
そこで、会社に迷惑をかけないため早朝出社して完成を試みる。
しかし、早朝出社と時短勤務をしていたワーキングマザーに「おはようございます」と声をかけられる。
ドキドキしながらも「おはようございます」と返したが、その夕方課長から呼び出されてやはり勤務時間外の勤務はいけないと訓示を受ける。
「事業会社では何も新しいことはさせてもらえない。これなら脱サラして自分のやりたい事でできることをやろう。」
そう考え、5ヶ月で脱サラし、予定していた全てのプロセスをすっ飛ばして教育を変える活動を始める。
24歳、関西の大手中学受験塾の希学園に算数科非常勤講師として入社。
同一教育システムでは1000人受験し、1年以内に正講師になれるのは40人(25人に1人)という状況(※1)下で、独自の上達理論により、5週間(1年の10分の1の時間)で正講師に昇格。
算数科講師において創立20年来初の快挙(※2)。
1:同一の教育システムを採用する浜学園で受験時の試験官談。
2:当時の希学園教務課の算数科担当講師より。
尚、講師の能力系は「ラジオのようにしゃべること」、
「綺麗な板書をすること」「生徒と対話すること」であり、これら能力を別々に鍛えた。
具体的には、板書:直線、円、文字を1日8時間練習、
しゃべり:名物講師のDVD音声を全て書き起こし暗唱、
生徒との対話:週に1度だけテスト監督として練習、等。
25歳、日本最高の算数科講師になっても、日本の教育は変わらないと気づき、影響力を身に付けるために経営を開始。
つまり、経営で影響力を身に付ける→教育を変える。
全国展開という道筋が見えた物販事業から始める。
26歳、創業初月で3名を雇い、1年で延べ1000名以上を面接し社員数十人を使う社長に。
27歳、創業1年目で1.1億の売上を達成。
1年2ヶ月後の2013年3月、Amazon法人部門月間売上高2位(4583万円)を達成。
日本の中古書籍の買取価格相場を3倍にする事を目的に、店舗展開を目指し邁進。
手始めに金券ショップなどへ古本買取代理店を5店舗開拓、年商1,000万規模まで育てる。
しかし、販売の拠り所だったAmazonから、倉庫の設立計画が変わったから17万冊あった在庫を大幅に減らすよう指示され、一時営業停止により対応せざるを得なくなり挫折。
大手の都合で経営計画を変えざるを得なくなるという危険性から、インターネットによるノウハウ付システムの貸し出し販売(ASP事業)に変更。
1日で脳内成功させられない事業はうまくいかない、という感覚の形成。
物販事業は事業モデルが事前に見えていたので上手くいったが、買取店の全国展開は、仮説はあったが事業モデルがはっきりせず、また問題が起こった際の解決策の制定も不十分であった。
28歳、その年の年商はほどんど落とさず事業転換に成功、ASPで利益を得るITベンチャーになる。
28歳、MBAとコンサルを目指す中で培った経営、構造化の力と起業経験を組み合わせたセミナー「次世代起業家育成セミナー」をシリーズで開催。
大々的な宣伝は行わず、それまで自分に魅力を感じてくれた方々に対する集客だけで累計3,000人を集める。
29歳、メルマガ配信スタンドの問題点(メールアドレスしか特定できるID(ユニークキー)が無く、配信シナリオを移動した際に顧客情報を引き継ぐには外部システムの開発と連携が必須&顧客情報の引き継ぎが保証されない)を解決し、顧客行動を元にしたスムーズな配信シナリオの切り替えを可能とした、視覚的にメールのステップ配信と顧客情報を保全しながらのシナリオ移動を可能としたツール"Visual Marketing Analyzer(VMA)"開発に着手。
「次世代起業家育成セミナー」の会員向けサービス「プレミアム・メンバーシップ」が生徒数3,000名突破。
地上波テレビで15分間特集。
特集映像はこちら>>
経営に関するDVDを発売。
当初1年の開発期間が4年に伸びたため、VMA開発を中断。
学んだことは①システム開発期間の基準:開発期間2倍で目処が立たなければ中止、開発期間3倍で中断という基準、②最少人員:開発を完結できる能力が必要充分のフルコミットできる最少人数を充分な報酬で囲い込む。教育が必要な人員を開発に加わらせない、③プロトタイプ:画面の出力イメージを最初に作成。
上記反省点を踏まえ、時代を踏まえ、スマホとLINEに特化してプロジェクトをやり直し。オートSNS開発に着手(当初開発名はオートLINE)。ベトナムに外注。
オートSNS[α版]が完成。動きの問題で発売はできず。
創業メンバーとともにβ版を完成にこぎつける。
ここに「オートSNS」が6年越しに完成する。
次の3つを特色として業界に最大限の貢献を目指す。
①フリープラン有(月額0円~の自動化)
②自由自在な配信シナリオ移動
③スマホ対応
④外部システム連携(外部API完備)
現在、新しいコンセプトの統合マーケティングソフトとその関連事業を推進中。
当スクールの創業者 兼 代表講師の加藤将太が15分間特集(※本編27秒~)
10年程考えた結果として現在、日本の抱える問題は構造的に、以下3つに分類されると考えています。
1:、2:により政治・経済リテラシーが向上し、出生率が上がり、人材の質が上がります。
上記及び3:により税制・外交等の国家戦略・戦術が妥当になり、国家の各種問題が改善されます。
その他、日本国家の主要な問題は上記1:~3:の組み合わせで表現できると考えています。
そのため、これら3つの問題のうちどれかに根本的インパクトを残せる一生を送る事が大事だと考えています。
人生は長く、私のように30余年しか生きていない人には、まだ人生の評価は下らないのではないでしょうか。
そこで、より賢くあろうとするのであれば、他人の一生から教訓を得る態度が必要であると思っています。
教訓を得るべき一生の例として、上記の国家問題を解決するために、イチかバチかの大勝負をかける人がいます。
例えば、国際的に活躍した、その分野では日本屈指の弁護士で、60余歳から、 最後の一仕事として、一人一票の実現に向け法律改正に向けて動いた弁護士がいます。
例えば、大阪都実現のために人生を賭け、最終的には僅差で否決された橋本大阪市長がいます。
例えば、『知事のリーグを組んで中央に対抗することで、中央集権から地方行政・道州国家を実現しよう』という理念で、東京都知事選で敗戦した大前研一氏がいます。
その他、高校以下の教育を良くしよう、大学入試や大学教育を何とかしよう、と動いている方もおられます。イチかバチか、1/0で結果が出る大勝負に挑み、どちらかというとハッキリ白黒が付いたものです。
そうした結果には考えさせられるものもありますが、僕としては人生の中でそうした社会に対する貢献は最大化しつつも、勝算のある勝負に出続ける挑戦心と、少しの慎重さのバランスが、経営にも人生にも大事なのではないかと考えて選択を下しています。
上記はあくまで加藤個人の主観であり、挑戦者たちの人生の評価を加藤自身が下す権利があると思って書いたのではありません。
私の家系は祖父と曽祖父の4名ともに医者であり、父は当時花型だった工学部を志向しましたが、要するに家系は理系です(母方の叔父には経営者が何名かいますが)。
また、人間の時間の使い方をコミュニケーション時間優先タイプと自己研鑚・真理探求時間優先タイプに分けると、明らかに自分は自己研鑚・真理探求時間優先タイプです。
従って、MBAでかじった経済学の知識や、読書を経て得た知識から、経済の潮流や、その中での経営戦略のベスト・ミックスを考える事に多くの時間が費やされます。
しかし、理論と実践のバランスの中で、特に初期の経営は実践がほぼ100%の重要性を占めます。
実践から多くの事を学びましたが、一つ例を挙げるとすると、フラットに人を見る、という事です。
具体的には、どのような戦略に対してでも、理解でき、実行でき、そして何より「やりたい」という事を思わなければ人は動かない。
そのために、取引先や社員・パートナーとの真にWin-Winな関係とはどのようなものか、また、小手先を超えて、普段のどのような自分の考え方が経営の流れに影響を与えるのか。
例えばこうした事が、コンサルタントとしては恐らく学べなかった事であろうし、これから日本が抱える上記のような課題を改善するにあたっても役に立てば良いと願っています。
また経営者としては、理論の考察力(仮設構築力)と実践力(戦略を実行する力)、0から1を生み出す起業家の力(アントレプレナーシップ)と1を100にする経営者の力(マネジメント)、対局にあるこれらの特質においてそれぞれ一定のレベルでありたいと願っています。
私は金銭的事情とRoots(友人・家族関係)を日本に残すために国内MBAを選択しましたが、人によっては海外MBAを志向する方もおられると思います。
海外MBAを取得した人が期待される能力は以下の5つです。
このうち、4:と5:は日本でも身に付きますし、2:は不要であると考えていたので、3:はギリギリ京大なら何とかなる、1:は独学する事にして国内MBAを選択しました。
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「会社経営で苦労した点」「何故、起業をしたのか?」など、インタビューされた時の映像です
京都大学工学部、同大学院MBAを卒業し、株式会社NTTデータ入社後に独立。
創業1年目で1.1億の売上を達成し、自らが代表を務める会社を4社経営。当スクールの講師として映像に登壇し、ウェブマーケティングにおいて、当スクールを1人で20億円販売見込。
ドクターシーラボ、ネットプライスの上場に貢献。
現在は組織学習経営コンサルタントとして多くの企業の業績向上、企業文化の発展をコンサルティングしている。著作に『年商3億円を120億円に変える仕事術』などがあり、セミナー、講演、メディア出演多数。